2015年6月4日木曜日

サインが届いた日

ある日突然、私宛てに「オリジンコーポレーション」という会社から
大きな封筒が届いたんです。住所は沖縄県那覇市。
一体何事か?と封を開けたら、2枚のサイン色紙が入っていました。
一枚は娘宛て、もう一枚は私宛て。
娘宛ての方には、びっしりと励ましの言葉が書かれています。
・・・隠れて何かやらかしたな。病院に行って娘に問いただしました。

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じゅん選手宛に二回手紙を書いたと白状しました。
一回目は脳出血を起こす前。二回目は脳出血後。
遺されていたパソコン内の文面も併せると、
だいたいこんなことを最初の手紙に書いたようです。

将来自分がどんな大人になればいいのか。
今必死にモデルを探している。
自分が憧れる人をしっかり見ていれば、その答えが見えてくる気がした。
だから、自分の得意なものを活かして「山」を登るあなたを、
私は遠くからじっと見ている。沖縄に行くのには時間がかかる。
内地からどんな子が応援しているのか、先に写真に会って下さい。
本気で応援している証拠に、
TLの写ったスマホとパスポートの顔写真を同封します。
私が「いめゆんな」です。
化粧をしないので年齢不詳な写真ですが、私は高校2年生です。

脳血管奇形の存在を娘に告げたのは中学1年の時です。
どんな大人になりたいかよく考えろ。
いつ人生が終わったとしても後悔が少ないよう、
優先順位を間違えるな。そう告げました。


二度目の手紙はだいたいこんな感じだったようです。

身体は今こういう状況になったけれど、
一人で歩けるようになり、自分でお金を貯め、
いつかきっとあなたの舞台を見るために沖縄に行く。
母子共々あなたのファンだ。時間は掛かるかもしれない。
でも絶対見に行く。でも正直、リハビリは苦しい。

宛先は友人に書いてもらい、封筒の裏は、自分と私の名前の連名。
それから程なくあのサインが手元に届いた。大体こういう顛末だったようです。

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彼女の死後、「いめゆんな」アカウントの過去ツイートを読みました。深夜の脳外科病棟は、将来を悲観して叫び出す声、発作を起こして倒れる大きな音が響かない日はない。正気と狂気の境目は紙一重。如何に自分をコントロールするか。自分を試されている気がする。そう書いてありました。

彼女がリハビリをしていた時期は、友人達が本格的に受験勉強を始めた時期と重なります。勉強時間を奪わないよう、必要以上に友人と接触することは控えた、と書いてありました。だから、あのサインが殊更に大切な意味を持っていたんでしょう。

お前が憧れた人は、ほんとうにいい子だぞ。遠巻きにサイン会場を見ながらそう思ってました。



あんしぇ、またやーたい (^-^*)♪ 次は明るく行こう♪