ラベル いめゆんなパーソナル(自己紹介など) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル いめゆんなパーソナル(自己紹介など) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年9月13日木曜日

サイトを移行リニューアルします!

このサイトを開いたのは私の娘でした。彼女の遺志で私がここを引き継いできたんですが、より使い勝手のいいブログサービスに移行することにしました。

ここは消さずに残しつつ。以下のサイトに少しずつ記事をコピーし、書きなおしが必要なところを修正していきます。




*********

それから、私自身のことを書くブログも始めました。

時は流れていきます。私は私の人生を歩まねばなりません。前を向いて生きていくために、自分の言葉で自分を語ろう。そう思いました。

娘とはキャラが違うので、ここでの語り口とのギャップに驚かれるかもしれませんが、よかったらこちらへもお立ち寄りください♪




2015年6月4日木曜日

サインが届いた日

ある日突然、私宛てに「オリジンコーポレーション」という会社から
大きな封筒が届いたんです。住所は沖縄県那覇市。
一体何事か?と封を開けたら、2枚のサイン色紙が入っていました。
一枚は娘宛て、もう一枚は私宛て。
娘宛ての方には、びっしりと励ましの言葉が書かれています。
・・・隠れて何かやらかしたな。病院に行って娘に問いただしました。

******************************************************************************

じゅん選手宛に二回手紙を書いたと白状しました。
一回目は脳出血を起こす前。二回目は脳出血後。
遺されていたパソコン内の文面も併せると、
だいたいこんなことを最初の手紙に書いたようです。

将来自分がどんな大人になればいいのか。
今必死にモデルを探している。
自分が憧れる人をしっかり見ていれば、その答えが見えてくる気がした。
だから、自分の得意なものを活かして「山」を登るあなたを、
私は遠くからじっと見ている。沖縄に行くのには時間がかかる。
内地からどんな子が応援しているのか、先に写真に会って下さい。
本気で応援している証拠に、
TLの写ったスマホとパスポートの顔写真を同封します。
私が「いめゆんな」です。
化粧をしないので年齢不詳な写真ですが、私は高校2年生です。

脳血管奇形の存在を娘に告げたのは中学1年の時です。
どんな大人になりたいかよく考えろ。
いつ人生が終わったとしても後悔が少ないよう、
優先順位を間違えるな。そう告げました。


二度目の手紙はだいたいこんな感じだったようです。

身体は今こういう状況になったけれど、
一人で歩けるようになり、自分でお金を貯め、
いつかきっとあなたの舞台を見るために沖縄に行く。
母子共々あなたのファンだ。時間は掛かるかもしれない。
でも絶対見に行く。でも正直、リハビリは苦しい。

宛先は友人に書いてもらい、封筒の裏は、自分と私の名前の連名。
それから程なくあのサインが手元に届いた。大体こういう顛末だったようです。

********************************************************************************

彼女の死後、「いめゆんな」アカウントの過去ツイートを読みました。深夜の脳外科病棟は、将来を悲観して叫び出す声、発作を起こして倒れる大きな音が響かない日はない。正気と狂気の境目は紙一重。如何に自分をコントロールするか。自分を試されている気がする。そう書いてありました。

彼女がリハビリをしていた時期は、友人達が本格的に受験勉強を始めた時期と重なります。勉強時間を奪わないよう、必要以上に友人と接触することは控えた、と書いてありました。だから、あのサインが殊更に大切な意味を持っていたんでしょう。

お前が憧れた人は、ほんとうにいい子だぞ。遠巻きにサイン会場を見ながらそう思ってました。



あんしぇ、またやーたい (^-^*)♪ 次は明るく行こう♪

2015年6月2日火曜日

サイン色紙は最期まで宝物でした

実は少し前に、このブログと「いめゆんな」アカウントを娘から引き継いでいました。
ブログを作ったのは娘「いめゆんな」ですが、
2度目の脳出血で亡くなりました。17歳でした。

1度目の脳出血で軽い半身麻痺症状が出ました。
昨秋のことです。彼女の夢の一つは、じゅん選手のライブを生で見ること。
目標は国際通り中心部にあるてんぶす那覇。
毎月じゅん選手が出演する「喜笑転決」が行われる場所です。
あそこに自分の足で辿りつくこと、これが彼女なりのリハビリ目標でした。


私たちは、脳出血しやすい血管奇形を複数抱えています。
遺伝性なため、私の脳内にも娘の脳内にもあります。
「明日」は保障されていません。

幸い、学校に通えるまで身体機能は回復したのですが、
諸事情あって春休みに沖縄に行くことができませんでした。
私と娘は顔がよく似ているので、万が一の時の為に、
私がじゅん選手と一緒に写真を撮っておこうと思い、
私が沖縄に行ってきました。
それが、このブログの「聖地巡礼」シリーズ
(たとえば「子供・障害者の一人旅準備」 
 「ほんとは、自分の目でみておきたかった」(←クリックになっています。

*******************************************************************************

2度目の脳出血はその2カ月弱後。
就寝中に起こったため発見が遅れ、気付いた時には息絶えたあとでした。

私も娘もお互い、何かあった時のために、
残った家族に何をしてほしいかを文書にしてあります。
彼女の願いの一つが、このブログの継続。
文章も書き溜めてありました。
手指のリハビリの為に打ち続けたものも含まれます。
ここに上げる文章は、娘が遺した文章と、
私が書いていくものの「まんちゃー状態」です。

じゅん選手のライブやツイッターでお話させていただく方が増えたので、
この機会に、最近の記事を書いている人間が高校生の「いめゆんな」ではなく、
彼女が「屋久杉」と呼んでいた母の私だと、一言書いておこうと思いました。
ライブに現れるのが母、記事を書いているのが娘は、おかしいですから。

*****************************************************************************

「じゅん選手のうちなーぐち講座」に娘が送った投稿内容を
覚えていて下さった方、本当にありがとうございました。
沖縄県庁前にある、うちなーぐちを話す自動販売機でさんぴん茶を買う。
アホみたいなあどけない夢でした。

何より、じゅん選手。
娘が歩行訓練を始めた時、理学療法士さんが歩行バーの向こうで手にしていたのは、
あなたのサインが書かれた色紙でした。
バーを持たずにここまで歩けるようになったら返す。
取りに来い。歩け。・・・あれはあの子の宝物でした。




子供の頃から、自分の目で沖縄を見るのが彼女の夢でした。
地上戦を生き抜いた方々からちゃんとお話を聞きたい。
そのためには、その世代の方々が話していた言葉を
少しくらいは理解できないと失礼かもしれない。
彼女が言葉を勉強し始めた理由です。

その矢先にじゅん選手の存在を知りました。
彼女の死後、パソコンの文章を全部読んだら、
こう書いてありました。

「沖縄が大好きな人を通して沖縄を知りたい。
あなたが何を話しているのか、きちんと理解したい。
私が書く文章の想定読者はひとり。それはあなただ」

彼女の遺志を継ぎ、これからもディスプレイ越しに応援します。

*****************************************************************************

娘が沖縄に行けそうにないな、と分かった時点で、
私もうちなーぐちの勉強を始めました。
もし、じゅん選手が大好きで、うちなーぐちを理解したいなと思っている方がいたら。
ぜひ始めてみてください。

半世紀生きてきた年齢の人間でも、勉強始めて4カ月で、
彼が仕事で使っているうちなーぐち(簡単な言葉を使っているはず)なら、
だいたい理解できるようになります。
うちなーぐちの舞台「丘の一本松」も、それなりに理解して観ることができました。
最近の「しまくとぅば日記」を聞きとって、
ここで標準語訳しているのも私です。
FM沖縄の「ゴールデンアワー」のじゅん選手のコーナーが
むるうちなーぐちだった回がありましたよね?
あれ、だいたい聞きとれました。
私より若ければ、もっと理解が速いと思います。
頑張ってみてください。

じゅん選手のネタは、標準語できくより、うちなーぐちのまま聞いた方が面白い。
標準語にすると言葉のリズムが狂い、本来の勢いが削がれてしまいます。
さらに、少し沖縄のことを知っていると、本気で笑えますよ。

******************************************************************************

ツイッターはフロー。即時性はありますが、情報はどんどん流れていく。
紙媒体のものは時と共に散逸します。
一方、ブログはストック。情報が一か所に集積されます。
あなたは今後長く活躍する人だと思うので、
内地から分かる範囲ですが、これからも記録を残します。

記事更新告知ツイートをリツイして下さる方、
それを読んでここを開いて下さる方、いつも本当にありがとうございます。
私が文字を打てる間は、細々と更新を続けていこうと思っています♪


あんしぇ、またやーたい (^-^*)♪

2015年5月2日土曜日

沖縄が大好きな人に沖縄を教えてほしい


私は特別な思想を持ってるわけでもないし
戦争のことを軽々しく口にしちゃいけないかもですが・・・

沖縄の地上戦のことを知った時、あまりの衝撃に
今まで知らなくてごめんなさい」っていう気持ちになって、
手当たり次第に沖縄戦の本を読みました。
読んでるうちに、本当に戦争を経験した人からもお話が聴きたくなってきました。
でも、戦争を経験した人達はもうすぐいなくなってしまう。

うちの母は、若い頃から海外を一人で旅してたんですが、
戦争体験を人に話したくない、そんな人も多い。
それでも、その土地の文化や歴史をきちんと勉強しなさい。
特に、その土地の言葉をできるだけ勉強してから行きなさい。
言葉は民族の宝だ。手ぶらで行くのは失礼だ。旅は物見遊山ではない
そう言われました。


世界何十カ国も一人で旅してきて、沢山の人と仲良くなって、
そのつど無傷で帰ってきた人が言うんだから、きっと正しい。
言葉はそれだけ大切なものなんだと思いました。

そんな時にじゅん選手のことを知って、
同じことを考えてる人が沖縄にいる!ってうれしくなって、
この人と会って話がしたいって思ったんです。
沖縄は内地以上に地域の絆が密らしいから、
表面的にいいカッコしても、自分をよく知ってる人達から
「嘘つけこいつw」って笑われるでしょ?
昔からの友達や近所の人に会わせる顔がないでしょ?
だから、じゅん選手が話していることに大きな嘘はないはず。

沖縄が大好きな人から沖縄の話を聞きたい。
沖縄の良さを教えてほしい。
その気持ちに、ゆらぎはありません。言葉をちゃんと勉強します。


あんしぇ、またやーたい (^-^*)♪

うちなーぐちが分からなくても じゅん選手は面白い


私がじゅん選手のことを知るきっかけになったのは、NAVERまとめ。
最初に観たのが「うちなーぐちを使ってA&Wで注文できるか?」
・・・分からな過ぎて面白い、という経験を初めてしました。
腹筋破壊力がすごかったw

今ではNAVERの中にも、複数のまとめサイトができてますね♪
http://matome.naver.jp/odai/2139539634214064401?&page=1
沢山の人が「おもしろい!」とツイートしてる動画は
ここで一通り観ることができると思います☆

私、じゅん選手の動画を初めて見た時すごく不思議だったんです。
普通、何を言ってるのか分からないと、笑えないじゃないですか?意味不明で。
たとえば、英会話が苦手な人だったら、
いくら面白い話をしていても、英語が分からなくて笑えない。
笑えたとしても作り笑いか苦笑い。

その後、字幕がないものも観るようになりました。そのたびに
「何を言ってるか分かんないのに、なんでこんなに笑えるんだろう?なんで?」
そんな気持ちになりました。


****************************************************************************

言葉が通じる相手なら、言葉で人をだませるかもしれない。
でも言葉が通じない相手を、言葉でだますことはできない。
だからじゅん選手は、言葉でないちゃーをだませない。

この人の芸は何なんだろう。
いくつか動画を見たあと、すごくそこが気になったんです。
ハマったきっかけは、多分そこでした。


あんしぇ、またやーたい (^-^*)♪

じゅん選手のネタでうちなーぐちを学ぶ そんな私の自己紹介


与那国島です♪ 山の上に「日本最西端の碑」があるそうですね☆ 


はじめまして!私は内地に住んでいる高校生です。

子供のころからずっと沖縄に行きたいと思ってきました。沖縄はガラスケースの向こうにある綺麗な宝石。遠いけど見える。手が届きそうだけど届かない。そんな島。


じゅん選手のことを知ってからは、沖縄に行く目的が一つ増えました。オリジンのライブ会場で、じゅん選手をこの目で見ることです。でも、ただ見るだけじゃなくて、言葉をちゃんと分かって笑いたい。だから、思い切ってうちなーぐちを勉強してみることにしました!

言葉のことだけじゃなくて、沖縄のことを色々知りたいです。じゅん選手ファンの方、沖縄在住の方、沖縄が大好きな方とお話できたらいいな。


どうぞよろしくお願いします☆



****************


<追記>

このブログを作った娘が亡くなりました。
脳血管奇形部位からの脳出血でした。

昨秋にも軽い脳出血を起こし
手足に軽い麻痺が出たんですが
沖縄に行くという気持ちは変わらず
リハビリを続け、
何とか手足の動きを取り戻しました。

一度出血を起こした場合
再出血率は高くなります。
高校3年生になったこの春に、
再度脳出血を起こしました。
就寝中でした。気付くのが遅かった。

また出血した時に備えて、
彼女なりの「準備」がなされていました。
そのうちの一つがこのブログ。
up準備された記事が既に幾つもあり
それ以外にも
書き溜めた文章が残っていました。

自分に何かあってもここは閉鎖せず、
書き溜めたものをupし続けて欲しい。
これが彼女の望みの一つでした。
お礼の積りだったようです。
リハビリを続ける原動力をくれた人に
お礼をしたかった。
そう言っていました。

冬から春にかけて書かれた
「聖地巡礼」というタイトルのものは、
私が沖縄に行って見聞きしたことを、
彼女が文章にしたものです。
しまくとぅば日記開始数回分を訳したのも
娘です。

娘が書いた文章が尽きてきました。
ここから先は、私が書くことになります。
途中から読まれた方は、
ここで文章を書いている人間が
高校生なのか大人なのか、
混乱されるかもしれませんね。

単なるファンブログではなく、
言葉を残すお手伝いがしたい、
これが彼女の希望だったので、
そこを引き継ぐことにしました。

ブログの趣旨は変わりません。
内地からの応援です。
娘は昨年12月から、私は今年1月から
言葉の勉強を始めました。
これからも続けようと思っています。